R-Serenar 5cm f1.5
 

Lens Data

Lens Unit

Lens Photo

製造メーカー:Canon
設計者:古川良三
製造番号:4384
製造年:1942年
レンズ構成:4群6枚 ダブル・ガウス型
重量:170g(225g with Contax-Leica adapter)
最小絞り値:f16
絞り枚数:10枚
最短距離:90cm
マウント:コンタックスマウント
R-Serenar 45mm,50mmf1.5

R-Serenar 80mmf2.0

Lens Impression

X線間接撮影用カメラは当初ライカ・コンタックスなどのドイツ製高級35mmカメラを活用する方向で計画されていましたが、第二次世界大戦前後の国情の変化とともに、国内でも集団検診などの民間需要が急速に高まることが予想されたため、国産の専用カメラの開発へと方向が転換していきました。
その国産間接撮影カメラには当初、ゾナーf1.5が使用されていましたが、後にニッコール及びR-セレナーへと変更されます。
精機光学製のカメラは昭和34年(1959)には1万3千台が製作されたとの記事もあるが、それにしてはR−セレナーレンズの市場登場は少なすぎるように思います。

レンズ構成には不明確な点もありますが、レンズ面反射を詳細に観察すると4群6枚のダブルガウス型のようです。
描写は思っていたよりしっかりしています。もちろん開放での球面収差の影響によるハロや、補正しきれていない周辺部のサジタルコマ収差による画像の流れなどは、比較的多く出てきますが、嫌みもなく、オールドレンズの味わいとして十分鑑賞、評価に耐える、優れたレンズだと思われます。


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第二次世界大戦に向けて中国・満州やアジア地域への兵員の輸送が増加してくると狭い船内での結核の感染の防止が大きな課題となり、早急に機材の拡充が必要となった。昭和14年(1939年)8月にジーメンス製間接撮影装置とゾナーf1.5レンズの輸入が海軍横須賀病院の横倉誠次郎医長(大佐)から申請され、昭和15年4月に到着した。これを参考として国産のX線間接撮影用カメラの製作が計画されたが、開戦直線の当時は小型写真機の需要が頂点となっていて各社生産に手一杯で応じるところがなく、ようやく精機光学(キヤノン)が応じたところ、それに触発された各社も追随したということが、横倉医長の著書に書かれている。軍部からの圧力も実際はあったのだろうが、まだ有無を言わさずというところまではひっ迫していなかったように思える。また、民間でも集団検診などの一般需要が急速に高まることが予想された(1951年には、結核予防法が改正され、結核の定期検診が義務づけられた)ことも、国産の専用カメラの開発へ向かった背景にあった。

実際、当時日本光学や東京光学は他の軍需品で手一杯であり、おそらくそちらの生産のほうが利益が高かったためなかなか応じなかったのではないだろうか。その間にも、当初は輸入されたまま使用されていたゾナーf1.5はすぐに不足し(20本程度と言われている)、後にNikkor5cmf1.5、そして自社開発のレンズへと変更された。

精機光学から最初に正式な製品として供給されたのは4.5pf1.5で、続いて5cmf2が作られ、その後は5cmf1.5に統一された。レンズ名は社内公募により、月面の晴れの海(Sea of Serenity)のSerenityにちなんだセレナー(Serenar)と命名された。
当時精機光学は日本光学から供給されるレンズ・部品などが、軍需用機器生産の増大によって抑制される懸念が強かったことから、代表の内田三郎が日本光学に頼み込んで自社製造の完遂に向けてレンズ製造の技術移転提携が進んでおり、古川良三をはじめとする設計関係者数名と関連機材(荒摺機、研磨機、芯取機など)が提供された直後でもあった。精機光学にとってこのタイミングでの軍からの要請は、非常にチャレンジングな課題ではあったが、その後の同社の展開にとって大きな契機ともなった。

X線間接撮影用カメラの使用レンズが当初のゾナーf1.5にせよ、2代目のNikkor5cmf1.5にせよいずれもゾナー型であるのに対し、R-セレナーがなぜダブルガウス型で設計されたのか、詳しい事情は不明である。手本はゾナーf1.5もビオターf2、f1.5もあったが、結果的にはダブルガウス型のビオターが選択され、古川良三はビオターf2を参考に4cmf2をまず試作し、続いて4cmf1.5(SEIKI名らしいが見たことはない)の試作を経て、上記のR-セレナー4.5cmf1.5、R-セレナー5cmf1.5と進化させていった。

戦後間もない1952年に販売される一般用のCanon 5cmf1.5はほぼ完全なゾナー型コピーであることや、R-セレナーのf2からf1.5への口径の拡大が収差補正のためのレンズ枚数追加などレンズ構成の変更なしで行われたことなどから、当時のR-セレナーの設計がかなり現実的、物理的な制約のもとに行われたことを伺い知ることができる。古川良三はR-セレナーの民生品への転用に強く反対したという話も伝わっているが、それが事実であるとすると、R-セレナー特にf1.5については、レンズ設計者として忸怩たる思いをもって送り出したものであるに違いない。
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 Photos with R-Serenar 5cm  
 
2013
Super Yosakoi
(スーパーよさこい)

R-セレナーとしては珍しいコンタックスマウントの個体をアダプターでライカMマウントに変換してM9Pで使用しました。できるだけf1.5開放で撮影したかったのですが、非常に日差しの強い午後でしたので、時折絞り込んででの撮影となりました。
開放での作例では画面全体の柔らかなハロと、周辺部のボケの流れが、十分に見て取れます。
絞り込んだ作例では、決して硬くならないなかでクリアな画像を見せてくれています。

This lens is rather rare Contax mount. I converted to Leica M mount by the adaper and fitting to my M9P camera. I wanted to take photo at f1.5 full aperture, but because of brilliant summer sunshine, I had to use at rather closed aperturet.
The photo at full aperture shows tender Halo in whole picture and periphera disorder of bokeh. The photo
at rather closed aperture shows very clear expression but not too stiff.

 
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